のこんの糸

国指定難病「巨大動静脈奇形(頚部顔面)」もち。病気の経過や日々の事を綴ります。

病気の記録①

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今まで病気に関して特に記録をつけていたわけではないし日記みたいなものも書いていないので完全に記憶を頼りにした記録簿になってしまいますが、これを機に思い出しながらまた家族に聞きながら、少しずつ現在までの病気の記録みたいなものを書いていきたいと思います。

 

ぺぴそゆコ誕生

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昭和57年1月22日。

 

「第1話 ガンダム大地に立つ!!」

ばりにわたくしぺぴそゆコがこの世に降り立ち・・・生を受けました。

 

 

母曰く、

 

「あんたは全然出てこなかった」

 

だそうで初産の母にとってはかなりハードな出産だったようです。

 

 

ちなみに弟の時は助産婦さんや先生に「まだ出さないでください!」と注意されるほどスッポーンだったそう。

誕生時、病気の片鱗はあったのか?

動静脈奇形は先天性の病気とされていますが、私の場合生まれたときに何かあったとか普通と違ったとかもなくごくごくフツーに健康に生まれました。

 

とはいえ先天性なので生まれながらにして病巣はあったのでしょうが。

 

ですが、これといって症状もなく、外見に関しても目に見えておかしなところもなかったです。

幼少期~小学生の頃の症状

特に症状らしきものはなかったです。

 

幼少期の頃は、母曰く「今思うと鼻血をよく出す子だった」とのこと。

ですが、これは動静脈奇形と関連性があるのかどうかわかりません。

自分自身鼻血なんかだしてたっけ?と覚えてすらいませんしね。

 

 

小学生の頃も特にこれといった自覚症状や外見の変化もなかったです。

体を動かすことが好きだったので陸上にバスケにとクラブ活動に精を出しているどこにでもいる普通の子でした。

ただ、当時の写真を見ると高学年の頃の写真は若干左頬が膨らんでいるかなと感じます。

 

でも、“そういう目で見ないとそう見えない”といったレベルです。

中学生の頃の症状

中学校に入ってもやはり自覚症状や外見に変化はなく、でした。

ですが今でもなぜか鮮明に覚えていることがあって、鏡越しに友達と喋っているときに

「そゆコ、なんか顔歪んでない?」

と言われたことがあります。

後にも先にもその子に言われた一度きりだったのですが、もしかしたら少しずつ兆候が出始めてきていたのかもしれません。

病気とか関係なく鏡越しに見る顔っていつも見てる顔と違う印象になるし、私の場合それが顕著だったのかも。

高校生の頃の症状

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やっと?と言っていいものかわかりませんが、症状が出始めたのがこの頃です。

 

高2のある夏の日。

授業中に何の前触れもなく突然左耳から出血。

それも、出血の量と勢いが日常で転んだりケガした時に出るそれとは違っていて、ドクドク出る感じというんでしょうか。

 

慌ててハンドタオルで押さえながら保健室に行きました。

 

保健室の先生に言われるがまま、その足で学校の近くの耳鼻科へ。

 

その時は‘とりあえず出血を止める処置’をしてもらって、事なきを得ました。

 

 

そして時は過ぎそれから1年後。

 

これまた授業中に出血。前回と同じ感じ。

高校3年生の夏でした。

 

またまたそのまま耳鼻科へ。

 

 

先生「入口のところに膿がたまってるみたいだから切開して膿だしちゃうね~」

と、ぷっくりと腫れていた膿がたまっていると思われたところを切開。

 

・・・するやいなや血がドバー。

 

慌てて先生止血の処置。

 

 

「これはおかしい。普通じゃない。大きい病院で診てもらった方がいい。」

大学病院受診。そして診断が下るも・・・

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数日後、大学病院の脳神経外科へ。

 

普通ならそのまま耳鼻科にと思うのですが、なぜ脳神経外科にかかったのか・・・覚えてません。

母が看護師なので、母の言うとおりにしたような気がします。

 

場所が場所なので結局すぐに耳鼻科にもかかることになって、今も耳鼻科と脳神経外科の両方で診てもらっています。

主治医は耳鼻科の先生、執刀医は脳神経外科の先生といった感じです。

 

 

 

最初にどんな検査をしたのか覚えてませんが、おそらくCTとMRIを撮ったと思います。

 

あと、自覚症状として左耳で脈拍のリズムでザーザーって音がするというのがあったのでそれを伝えたら先生の顔色が変わったのを覚えています。

 

17歳の小娘でもわかるレベルの反応だったので、

「あ、耳でこの音がするのは普通じゃないんだ」

って思ったのを覚えています。

 

おそらく、これが“異常である”という判断材料の肝だったのかなと。

 

なので、拍動性の耳鳴りがするという方はなにかしらの病気の可能性を疑った方がいいのかもしれません。

 

 

そして、検査を経ての医師の診断は『血管腫』でした。

 

 

当時、動静脈奇形という病気は確立されていなかったので総じて血管腫とされていたようです。

 

血管腫と診断されて説明を受けたのは、

 

個人差はあるが

血管腫は25歳あたりを境に後退していく

でした。

 (当時の担当医師による見解なのでこれが正しいのかどうか定かではありません)

 

要は、成長期や人間として一番活発なときに病気も連動して急性期を迎えるけど、それを過ぎたら病気も落ち着いていくよ、ということでした。

 

この時はまさかこんな腫れあがった顔になる事などみじんも予想していなかったです。

 

「ああ、そうか。どんな支障があるのかわからないけど治療していけばいいんだな。年齢とともに治まっていくんだな。」

ぐらいに考えていました。

 

 

そして、一回目の治療をします。

忘れもしません。

高校3年生の12月。

 

特段急いでしなきゃいけない手術というわけでもなかったのですが、新しい生活(高校卒業後の進路は夏休みにAO入試を受けて合格していたので地元の短大への進学が決まっていました)を迎える前に済ませたかったのと、学校の授業はほとんど受験勉強に充てた自習になっていたのでちょうどよかったっていうのがあります。

 

 

そして、一回目の手術『塞栓術』をします。

次回に続きます。

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